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将棋の盤と駒
将棋(しょうぎ)は、
日本将棋、
本将棋(ほんしょうぎ)とも言い、二人で行なう
ボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。 現在では、将棋人口は1000万人から2000万人といわれるくらいに本将棋が普及しており、中将棋もわずかではあるが愛好家によって残されている。
本将棋の他にも、盤の大きさや駒の種類を変えたり、将棋の盤と駒を利用して別のルールで遊んだりする遊戯が考案されている。本将棋以外の将棋、および将棋に関連する遊戯については、
将棋類の一覧を参照されたい。
目次 1 ルール1.1 基本ルール1.2 駒の動き1.3 ゲームの進め方1.4 勝敗の決め方1.5 反則1.6 その他2 戦略と戦術2.1 ゲームの進行ごとの戦略2.1.1 序盤戦2.1.2 中盤戦2.1.3 終盤戦2.2 駒の価値3 将棋の歴史3.1 日本への伝来3.2 平安将棋3.3 将棋の発展3.4 御城将棋と家元3.5 新聞将棋3.6 七大タイトル3.7 大山時代・羽生時代4 将棋に関連する言葉5 将棋が主題の作品5.1 映画5.2 テレビドラマ5.3 漫画5.4 楽曲6 関連項目7 外部リンクルール
基本ルール
縦横9マスずつに区切られた
将棋盤の上で行う。
競技者双方が交互に、盤上にある自分の
駒を一回ずつ動かすか、既に取った相手の駒(
持ち駒)を一つ盤上に置くかどちらかをすることができる。持ち駒を打つときは元の状態で配置する。成った状態の駒を打つことはできない。
駒は、
玉将(玉)または
王将(王)・
飛車(飛)・
角行(角)・
金将(金)・
銀将(銀)・
桂馬(桂)・
香車(香)・
歩兵(歩)の八種類であり、それぞれ動きが決まっている。
玉と金以外は敵側の陣地三段目以内に進むと「成駒」にできる。
飛・角はそれぞれ
龍王(龍)・
龍馬(馬)になり、元の動きに加えて自分から一マスの範囲すべてが移動可能になる。
それ以外の駒は、それぞれ銀は
成銀、桂は
成桂、香は
成香、歩は
と金となり、金と同じ動きが出来るようになる。
一度成った駒は元に戻すことはできない。
敵陣から出る場合にも成ることができる。ただし、成らないまま敵陣から出た駒はもう一度敵陣に入るまで成ることはできない。
桂は敵陣二段目もしくは一段目に進んだときには必ず成らなくてはならない。同様に、香および歩は敵陣一段目に進んだときには必ず成らなくてはならない。
自分の駒を動かすとき、動く先に相手の駒があるとき、その駒を捕獲することができ、自らの持ち駒にできる。成った駒は元に戻る。
駒の動き
元の駒
動き
成駒
動き
玉将(ぎょくしょう) 王将(おうしょう)
○○○
○
玉○
○○○
全方向に1マス動ける。
-
-
-
飛車(ひしゃ)
|
―
飛―
|
縦横に何マスでも動ける。飛び越えては行けない。
龍王(りゅうおう)
○|○
―
龍―
○|○
飛車+玉の動き。
角行(かくぎょう)
\ /
角/ \
斜めに何マスでも動ける。飛び越えては行けない。
龍馬(りゅうめ、りゅうま)
\○/
○
馬○
/○\
角+玉の動き。
金将(きんしょう)
○○○
○
金○
○
縦横と斜め前に1マス動ける。
---
銀将(ぎんしょう)
○○○
銀○ ○
前と斜めに1マス動ける。
成銀(なりぎん)
○○○
○
全○
○
金と同じ。
桂馬(けいま)
☆ ☆
桂前へ2、横へ1の位置に移動できる。 その際、駒を飛び越えることができる。
成桂(なりけい)
○○○
○
圭○
○
金と同じ。
香車(きょうしゃ)
|
■香■前方に何マスでも動ける。飛び越えては行けない。
成香(なりきょう)
○○○
○
杏○
○
金と同じ。
歩兵(ふひょう)
○
■歩■前に1マス動ける
と金(ときん)
○○○
○
と○
○
金と同じ。
上の表では便宜的に成銀を「全」、成桂を「圭」、成香を「杏」と表示している。この表記は、将棋駒の活字がない環境で(特に詰将棋で)しばしば用いられる。成銀を「全」、成桂を「今」、成香を「仝」、と金を「个」で表す流儀もある。
ゲームの進め方
対局者の
棋力の差によって
手合割がある程度決まってくる。
棋力が同じくらいの場合、平手戦とする。平手戦の場合、開始時には駒を次のように並べる。
将棋の初期状態
上図のように、盤面を図として表示する場合、下側が
先手、上側が
後手となる。先手から見て、将棋盤の右上のマスを基点とし、横方向に1、2、3、…、9、縦方向に一、二、三、…、九とマス目の位置を表す座標が決められている。
棋譜はこの数字を用いて表現される。
先手・後手は、棋力が同じ程度の者同士であれば
振り駒により決定する事が多い。棋力に差がある場合には弱い者が先手をもつ。
棋力の差が非常に大きく、平手では勝負にならない場合、ハンデをつけた駒落ち戦とする場合もある。
二枚落ちの初期状態
上図は二枚落ちの場合である。駒落ち戦の場合、駒を落とした方を
上手(うわて)、落とされた方を
下手(したて)という。駒落ち戦では上手から指し始める。
勝敗の決め方
どちらか一方が、ルール上可能な着手(合法手)がなくなったとき、負けとなる。すなわち、玉を追い詰めて
王手の回避ができない状態にすれば勝ちである。この状態を「
詰み」という。
どちらか一方が、自分の手番のときに
投了することで負けとなる。たいていの場合、自玉が詰み筋に入った場合や、自玉にかかった
必至から逃れることができない場合、攻めが切れて相手の玉を詰ませる見込みがなくなった場合に投了する。
自分の手番で、自玉に王手はかかっていないが合法手がない場合(
チェスで言うステイルメイト)、将棋では負けとなる。
公式戦では制限時間を定め
対局時計を扱い、時間切れによる勝敗を厳正に定める。制限時間なしの対局もある。
同一局面が4回現れた場合
千日手となり、無勝負指し直しとなる。
先後両者の玉(王)が互いに
入玉し、玉を詰める見込みがなくなった場合、判定により勝敗を決める場合がある。この判定法により引き分けとなる場合があり、これを
持将棋という。
反則
次の行為は反則と決められており、直ちに負けとなる。
(
二歩の禁止)成っていない歩兵を二枚同じ縦の列に配置することはできない。
(
行き所のない駒の禁止)盤上の駒を行き先のない状態にしてはいけない。すなわち、1段目の桂馬、香車、歩兵、2段目の桂馬は配置してはいけない。
(
打ち歩詰めの禁止)歩を打って玉を詰めてはいけない。
(
自玉を相手駒の利きにさらす手の禁止)自らの着手の後、自らの玉が
王手のかかった状態にあってはいけない。すなわち、相手に王手された場合は王手を回避しなければならないし、玉を相手の駒の利きに移動してはならない。
(
連続王手の千日手の禁止)連続王手での千日手は王手している側が指し手を変更しなければならない。
その他、基本ルールに反する行為として、移動のできない場所へ駒を移動する、2手続けて指す、持ち駒を裏返して打つ、駒が成れない状況で成ってしまう、玉や金を成ってしまう、成駒を成っていない状態に戻す、なども反則と考えられる。
その他
将棋は「指す」ものであって「打つ」ものではない。打つのは
囲碁と
連珠である。ただし、持ち駒を盤面に配置することは「打つ」という。
「王手をするときには『王手!』と言わなければいけない」と思っている人がいるが、正式にはそのようなルールは存在しない。
王将と玉将について
将棋駒には、もともと「玉将」しかなかったようだが、それがいつの間にか「王将」も使うようになったと言われている。そのため、王将と玉将には実質的には違いはない。ただし慣例として、上位者が「王将」を使い、下位者が「玉将」を使う。
玉と言うのは、金、銀、桂、香などと同じように宝物から命名されているものと思われる。よって、意味からすると、王将を「王様」と言うのは本来間違いである。しかし、チェスでは玉将に相当するのは「キング」であるし、「王手」とは言うが「玉手」と言う言葉はない。そのため、玉将を表すのに「王」と「玉」のどちらの言葉を使用しても問題ないと考えられるし、実際問題にしている人もほとんどいないだろう。
戦略と戦術
将棋の戦法一覧、
将棋の格言なども参照のこと。
ゲームの進行ごとの戦略
一局の対局はおおよそ100手前後(先手・後手それぞれの着手を1手と数える)で勝負がつくが、対局全体を大きく以下の3つに分けることができる。ただし、何手目までが序盤であるかなど、明確な線を引くことは通常はできない。
序盤 - 初手から駒組みが完成するまでのおおよその間。
中盤 - 駒組みが完成し、両軍の駒のぶつかり合いが始まってから、劣勢の側または両者の玉の囲いが崩れ始めるまでのおおよその間。
終盤 - 劣勢の側または両者の玉の囲いが崩れ始めてから、終局までの間。
序盤戦
序盤戦はまず自軍の陣形を整えることから始まる。多くは定跡化されており、その知識と研究に加えて、相手の動きを見ながら先々の有利を見据える大局観が重要となる。詳しくは
将棋の戦法一覧を参照のこと。
初手は角道を開ける▲7六歩か飛車先の歩を突く▲2六歩のどちらかが常識とされ、ほとんどの対局はこのどちらかで開始される。
基本的には金や銀を使って玉の守りを固め(
囲い)ながら、歩や銀、桂、大駒を繰り出して敵を攻める体勢を作ることになる。囲いを簡略化してすぐに攻めに入ることを
急戦といい、じっくりと固めてから戦いに入ることを
持久戦という。
戦法は、飛車を初期位置から動かさずに攻める
居飛車と、左へ動かして展開する
振り飛車の二通りに大別され、それぞれに定跡が研究されている。ほとんどの将棋指しは居飛車を好む「居飛車党」と振り飛車を好む「振り飛車党」のどちらかに大別されるほどである。
双方が囲い合い、駒のぶつかり合いが始まると中盤戦に突入する。
中盤戦
中盤戦は、駒を取り合い、敵陣に切り込んで相手の囲いを崩しに行く戦いになる。駒の損得と働きが重要になる。
銀、桂、歩などを繰り出しながら相手の駒を攻めて駒得を狙い、敵陣に攻め入って龍、馬やと金などを作って相手玉の囲いを脅かすこと、またそのような相手の攻めを防ぐ(受ける)攻防が主となる。攻めと受けのどちらに主眼をおくかによって個人の棋風が良く現れる部分である。
一方または両方の囲いが崩れ出すと、終盤戦に突入する。
終盤戦
終盤戦では、いよいよ相手の玉を詰ましに行く(
寄せる)戦いになる。駒得よりも玉を寄せるスピードが重要となり、正確な読みの力が重要となる。
コンピュータが得意とする部分でもある。
囲いを崩しながら相手玉に迫り、詰めろをかけ続け、最終的には
詰将棋のように
王手の連続で
詰みまで持って行くことになる。お互いに玉に迫りあっている場合、相手への詰めろを一手外すと逆に自玉にかけ返されてしまうので、一手の緩手で勝敗がひっくり返ってしまうこともある重要な局面である。
一方的な場合は詰められるのを逃れるために逃げ道を確保する。
入玉を目指し早めに逃げることもある。
駒の価値
玉将は別格として、駒の価値は概ね次のような順であるとされている。飛車と角行を
大駒といい、それ以外を
小駒という。価値の低い駒を捨てるかわりに価値の高い駒を手に入れることを
駒得(こまどく)といい、一般的には有利になる。その反対は
駒損(こまぞん)。
飛車、角行
金将、銀将
桂馬、香車
歩兵
同列の中では角行より飛車、銀将より金将の方がわずかに価値が高いとされるが、それは状況により変化する。序盤の角と飛車の交換は角の方が有利ともされる。
角と銀+桂など、大駒1枚と歩以外の小駒2枚を交換することを
二枚替えといい、一般的には小駒2枚を得た側が有利とされる。ただし大駒と桂香2枚の交換では大駒を得た側が有利になりやすい。
交換した駒は再利用することが前提なので、成駒と元の駒の価値は交換に関してはあまり変わらない。また持ち駒をすぐに敵陣近くに打ち込めるため、成りが目前の歩だからといって特に価値が跳ね上がるようなこともない。
チェスの
ポーンが二段目、七段目、
クイーン昇格後で価値が全く異なるのとは対照的である。
これらの駒の価値は中盤戦で特に意識される。終盤では駒得より詰ますスピードが重要なため、あまり重視されない。
将棋の歴史
日本への伝来
将棋の起源は、古代
インドの
チャトランガ(シャトランガ)であり、
ユーラシア大陸の各地に広がってさまざまな類似の遊戯に発達したと考えられている。西洋には
チェス、
中国には象棋(Xiangqi;
シャンチー)、
朝鮮半島には
チャンギ(장기)、
タイには
マークルックがある。
将棋がいつ頃日本に伝わったのかは、明らかにされていない。
囲碁の碁盤が
正倉院の宝物殿に納められており、囲碁の伝来が
奈良時代前後とほぼ確定づけられるのとは対照的である。
日本への伝来時期はいくつかの説があるが、早いもので
6世紀頃と考えられている。このとき伝来した将棋は、現在のような五角形の駒形ではなく、古代インドのチャトランガの流れを汲む立像型の駒であったとされている。掌中暦に「一(はじめ)棋は騎を作る」とあり写実的な駒があったと推定する。チェスでは古い駒ほど写実的である。だが大きな問題点として、現在までそのような形の将棋が発見されたことはなく、もちろん正倉院の宝物殿にも納められていないため、物証に乏しいことがあげられる。
遅いほうの説としては、
平安時代に入ってからの伝来であったとする説がある。中国のシャンチーや朝鮮のチャンギがこの時期に日本に伝わったというものであるが、これらは駒を線の交点に置く事など将棋との違いは大きく疑問も残る。東南アジアのマークルックに
銀将と同じ動きの駒があることからこれの影響を受けた可能性もあるが、当時の造船技術では海岸沿いに日本まで伝わったと考えるのも難しく、はっきりした事は分かっていない。
チェスの歴史も参照。
平安将棋
将棋の存在を知る史料として最古のものは、
奈良県の
興福寺境内から発掘された駒16点で、同時に
天喜6年(1058年)と書かれた木簡が出土したことから、その時代のものであると考えられている。この当時の駒は、木簡を切って作られ、直接その上に文字を書いたとみられる簡素なものであるが、すでに現在の駒と同じ五角形をしていた。また、同時期に編纂された藤原明衡(ふじわらのあきひら)の著とされる「新猿楽記」(1058年~1065年)にも将棋に関する記述があり、文献上でも裏付けが取られている。
三善為康によって1210年~1221年に編纂されたと推定される習俗事典「二中歴」に、大小2種類の将棋がとりあげられている。後世の将棋類と混同しないよう、これらは現在では
平安将棋(または平安小将棋)および
平安大将棋と呼ばれている。平安将棋は現在の将棋の原型となるものであるが、相手を玉将1枚にしても勝ちになると記述されており、この当時の将棋には
持ち駒の概念がなかったことがうかがえる。
これらの将棋に使われていた駒は、平安将棋にある
玉将・
金将・
銀将・
桂馬・
香車・
歩兵と平安大将棋のみにある
銅将・
鉄将・
横行・
猛虎・
飛龍・
奔車・
注人である。平安将棋の駒はチャトランガの駒(将・象・馬・車・兵)をよく保存しており、上に
仏教の五宝と示しているといわれる玉・金・銀・桂・香の文字を重ねたものとする説がある(清水康二氏の学説による)。さらに、チャトランガはその成立から戦争を模したゲームで駒の取りすてであるが、平安将棋は持ち駒使用になっていたとする木村義徳氏の説もある。
将棋の発展
これは世界の将棋類で同様の傾向が見られるようだが、時代が進むにつれて必勝手順が見つかるようになり、駒の効きを増やしたり駒の種類を増やしたりして、ルールを改めることが行われるようになった。日本将棋も例外ではない。
13世紀頃には平安大将棋に駒数を増やした
大将棋が遊ばれるようになり、大将棋の
飛車・
角行・
酔象を平安将棋に取り入れた
小将棋も考案された。
15世紀頃には複雑になりすぎた大将棋のルールを簡略化した
中将棋が考案され、現在に至っている。
16世紀頃には小将棋から酔象が除かれて現在の本将棋になったと考えられる。
元禄年間の
1696年に出版された「諸象戯図式」によると、
天文年中(
1532年~
1534年)に
後奈良天皇が小将棋から酔象の駒を除かせたとあるが、真偽のほどは定かではない。
なお、16世紀後半の
戦国時代のものとされる
一乗谷朝倉氏遺跡から、174枚もの将棋の駒が出土している。その大半は歩兵の駒であるが、1枚だけ酔象の駒が見られ、この時期は酔象を含む将棋と含まない将棋とが混在していたと見なされている。
さらに、日本将棋では独自に、取った駒の再利用ルール、すなわち持ち駒の使用が始まった。持ち駒の採用は本将棋が考案された16世紀頃であろうと考えられているが、平安小将棋のころから持ち駒ルールがあったとする説もある。
江戸時代に入り、さらに駒数を増やした将棋類が考案されるようになった。
天竺大将棋・
大大将棋・
摩訶大大将棋・
泰将棋(大将棋とも。混同を避けるために「泰」が用いられた)・
大局将棋などである。ただし、これらの将棋はごく一部を除いて実際に遊ばれることはなかったと考えられている。
御城将棋と家元
将棋(本将棋)は、囲碁とともに、江戸時代に幕府の公認となり、
寛永年間(1630年頃)には将軍御前で指す「御城将棋」が行われるようになった。八代将軍
徳川吉宗のころには、年に1度、
11月17日に御城将棋を行うことを制度化し、現在ではこの日が「将棋の日」となっている。
将棋の家元である
名人らには俸禄が支払われた。江戸時代を通じて、名人は伊藤家・大橋家・大橋分家の世襲のものとなっていった。現在でも名人の称号は「
名人戦」というタイトルに残されている。
新聞将棋
江戸幕府が崩壊すると、将棋の家元制も力を失い、将棋の流行が衰えていった。
19世紀末には一握りの高段者を除いて、プロ棋士として将棋で生活していくことはできなくなったといわれている。
20世紀に入った
明治40年代、
新聞に将棋が掲載されるようになり、高段者が新聞への掲載を目的に合同するようになった。これが現在の
日本将棋連盟の原型となっている。
七大タイトル
1935年(
昭和10年)、関根金次郎十三世名人が名人位を辞退し、それまで世襲制だった名人位が実力名人制に改められた。第1期
名人戦(当時の正式名称は名人決定大棋戦)がそれから2年にわたって行われ、
1937年(昭和12年)に
木村義雄が初代名人となった。
タイトル戦の始まりである。
その後、
1950年(昭和25年)には九段戦(
1962年(昭和37年)から
十段戦に改称)と
王将戦が、
1953年(昭和28年)には
王座戦が創設される(王座戦は当初は非タイトル戦で、タイトル戦に昇格したのは
1983年(昭和58年)のことである)。
1960年(昭和35年)に
王位戦、
1962年(昭和37年)に
棋聖戦、
1974年(昭和49年)に
棋王戦が創設され、
1988年(昭和63年)に十段戦が発展解消して
竜王戦となり、現在の七大タイトル制に移行する。
大山時代・羽生時代
これらの各タイトルをすべて保持することは至難の業と考えられていた。
1957年(昭和32年)、
升田幸三が当時のタイトルであった名人・九段・王将をすべて保持し「三冠王」となるが、升田から三冠をすべて奪い、
1959年(昭和34年)にはその後創設された王位・棋聖を含めた「五冠王」となったのが
大山康晴である。大山はその後延べ6年にわたり五冠を保持し、「大山時代」と呼ばれる黄金期をつくる。大山の通算獲得タイトル期数は80期に上り、現在よりタイトル数が少なかった時代にあって前人未到の記録である。
タイトルが7個に増えた1983年以降、7冠すべてを同時に保持することは不可能と思われていたが、
1996年(
平成8年)、
羽生善治が史上初の「七冠王」となり、「羽生時代」と呼ばれるようになる。それ以降も2005年現在まで羽生は無冠となったことがなく、通算獲得タイトル期数は60期となっている。
将棋に関連する言葉
王手 次に相手の
玉将を取ることから転じて、あと1勝で優勝などの場面で用いる。また、相手もあと1勝で優勝という状況になったときには「逆王手」という表現が用いられることもある。
持ち駒 任意のときに任意の場所に打てる駒から転じて、自分が利用できる権利や選択肢のことを指す。
成金
歩兵が成って「と金」となることから転じて、急に金持ちになった庶民のことを指す。
へぼ将棋王より飛車を可愛がり
将棋が下手な人が、強力な駒である
飛車を大切にするあまり本当に重要な玉将の守りをおろそかにしてしまう事。転じて本当に大切な物を見失い蔑ろにする事を指す事もある。
待ったなし
相手が指した気に入らない手をやめてもらう事を待ったと言い、待ったなしとはそれを許さない真剣勝負の事である。転じてやり直しの利かない事を指す。
高飛車
飛車を定位置から二間または三間前に出して中央を制圧する戦法の事。その飛車の様子から転じて高圧的な様の意味。
将棋が主題の作品
映画『王将』 (1948年)
『王将一代』 (1955年)
『王将』 (1962年)
『王手』 (1991年 ムービーギャング)
テレビドラマ 『
ふたりっ子』(1996年
NHK 朝の連続テレビ小説)
漫画『しおんの王』
『月下の棋士』
『歩武の駒』
『マサルの一手』
『5五の龍』
『聖』
『外道棋記-真剣師 小池重明-』
楽曲
『王将』
関連項目