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ジオン・ズム・ダイクン『新人類たちへ』
宇宙という新しい環境は、人に新たな変革を要求するだろう。第一の人類のルネッサンスを猿から人への変革であるとすると、第二のルネッサンスを封建から中世の文明を得た人類、そして、第三のルネッサンスとして宇宙を得た新しい人(ニュータイプ)。
それは、より広大な時空をも一つの認識域の中に捉え、それによって一つ一つの事々へのより深い洞察力とより優しさを持った人ということである。なぜならば、かつて人は移動し得る距離の中で国家(部族)を語り、次に乗り物による拡大した移動力によって国家という認識を越えたよりグローバルな世界観を得て宇宙へ進出した。
そして、新しい人類(ニュータイプ)は地球を離れ、地球を含む広大な空域を生活の場として認識する。その度に人は己の欲望と叡智を拡大し磨いたと信じよう。その人が、大地を翔んだのである。その翔んだ人々の思考と認識力は、巨大な空間を己の生活空間として認識することを欲望して、かつて利用することのなかった大脳を働かせたとき、人はより高度に、より深く、より慈愛に満ちた精神を得ることが出来るだろう。
過去、人は己の持つ大脳細胞の半分の機能も使うことなく歴史を重ねたのである。その一人一人が眠っている大脳細胞を目覚めさせたとき、人は変わろう。
宇宙! その大地を離れた新しい環境こそ、過去に眠っていた人の考える力を目覚めさせるのだ。神が……神が有史以前から必要以上の大脳を人に与えたのはなぜか?
過去の環境の中で人が生きてゆく上では、人は己の大脳の三分の一の機能を使えばよかったのである。そして、残りは、人がより人として生きるべき巨大な空域で、時空で生きてゆくときのために神があらかじめ用意されていた部分なのではないだろうか?
潜在能力という曖昧な人の力のあり方の中に、人は、現在考えられている以上の力を発揮できる部分があるのだ。宇宙の民よ。今こそ、己の眠れる力を宇宙という環境の中で目覚めさせよ。その時に、人は革新する! 真の人のルネッサンスがあるのかもしれぬのだ! その時こそ、人は、広大な空間も、越えることが出来ないと信じられた時間をも超えることが出来るのではないだろうか?
夢ではないのだ! この宇宙という広大無辺な時空を生活の場としようと欲した時、人は時空を乗り越える力を自らが持たなければ生きられぬのだ!
ジオン・ズム・ダイクン『コントリズム』
地球に居残る人々が、天を見上げて、天にある人の支配を成さんとするのは笑止である。宇宙移民者たちは余剰人口者として宇宙に追いやられたとするのが真実である。しかし、星々を身の周囲に置き、星々と共に寝食を共にした我々は、人として新しく生まれ変わりつつあることを自覚せずに入られない。
エネルギーは、太陽が燃え尽きる五十億年先まで得ることができ、宇宙の空域は無限といえる。残るは、我々の認識力を拡大して、この広大無辺といえる宇宙を生活のための場所と思考すれば良いだけである。あの星々たちも、我々が生きてゆくために存在するものと考えられぬのだろうか? 神のあらせられる聖域と考えられるのは誤りであろう。
我々は今や、宇宙の民としてこの厳しい環境の中で闘い抜き、世代を重ねてきた。そして、かつて人の歴史を築き上げてきた地球を見上げ、見下ろして思うことは何であろう?
そう! あの緑なす地球、青く輝く地球こそ我々人類の発祥の星として永遠に守り続けなければならぬ聖地なのだ。一部のエリート意識に固まった人々の生活の場として残されたものではない。特権階級の象徴の場として汚されてはならない。これこそ、我々が宇宙の民として拡大した意識の力が判断させることなのである。
が、地球から離れることのなかった人は、未だ大地を己の生きる場として存在するものと信じている。そして、汚し続けている。しかしその時代は終わったのである。
地球こそ人類発祥の地、聖域としておかねばならぬ。一部の特権階級の持ち物ではない!
しかるに、大地の人々は、天をあおいで人類全体を管理運営しようとする。それが人類を永遠に繁栄させるものではないことは自明であろう。
サイドの自治権、コロニーの主権を持つことは、地球に存在する主権に拮抗させんがためのものではない。人類が一人残らず宇宙に翔び、地球圏そのものの主権をサイドの連合におき、地球を人類全体の聖地として守るべきなのだ。そのためのコロニーの拡大は容易である。
かつて、キリスト者たちがその宗教の発祥の地をめぐって血なまぐさい争いを演じた歴史があるが、我々はその過ちを犯してならぬのである。